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⑬ タラの木には実が生る

 タラの木には実が生ります。タラの芽ばかりが珍味として注目され、タラの実はほとんど関心を持たれないようですが、新芽が伸びきった後、こんなようなものが生えてきます。

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 夏になると、蜂が群がるほどです。このなかに五匹写ってますが、お分かりでしょうか。まだ実が熟していない段階ですが、蜂にとっては美味なのでしょう。

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 八月の終わりにタラの実は熟し始めて、このように色づきます。

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 八月の終わりには、イチジクの秋の実も熟し始め、やはり蜂が群がってきます。イチジクの場合は実が熟してから蜂が寄ってくるようです。

f:id:phorton:20161001205226j:plain すでに実が腐乱している。

 

 九月のお彼岸時期にタラの実はほとんど熟し切ります。

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 ブルーベリーみたいな外見ですが、味はもっとさっぱりしてます。いくらか苦味があるかもしれません。かなり小粒なので、食用にしずらいですが、それなりに味わえるものです。

 鉛筆の半径くらいの大きさです。

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 以前親戚がお彼岸時期に来訪したとき、これを皿で出したことがありますが、警戒されたのか食べてもらえませんでした。それ以来わたしも無関心でいたのですが、来年は絞るか煮るかしてみようと思います。

 

⑫ イチジクを狙う鳥との戦い

 玄関前にあるイチジクの木は、六月下旬から七月上旬くらいの間に、その年の最初の収穫があります。この時期の実は特に、『花イチジク』と呼ばれ、『イチジクの木に花がついた』なんて言います。大きめですが、沢山は生りません。

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 よく熟れたイチジクは、そのまんまスイーツのように食べられます。べとつかないジャムとでも表現しましょうか。口の中でとろける感じです。

f:id:phorton:20160713210248j:plain これは11センチ

 しかしイチジクは収穫が難しいのです。なぜなら天敵がいるからです。それは鳥です。

 イチジクが食べられる状態になってきたなと思うと、翌日にはもう鳥に先を越されています。熟れていないときのイチジクは、まだパサパサしてますが、その状態のときでさえヤラれてしまうことが多いです。ですから熟れ切ったイチジクを収穫するには鳥との戦いに勝たねばなりません。

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 そのための秘密兵器がこれ。紙パックです。安上がりで廃品利用にもなるので、毎年使ってます。園芸店で専用のネットが売ってると思いますが、鳥と戦うためにお金をかけるのがシャクなので、タダで済ませられれば、それだけで勝った気分になれます。

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両端に穴を開けて、園芸用の針金を通します。

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このように実に被せます。このとき針金が実の先端に引っ掛からないように注意します。 実の根元をちょっとかじられてますが、まあ見本ということで。

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 パックの上部をできるだけ閉じるようにして針金で枝に縛り付けます。しっかり閉じて縛らないと、隙間から齧られます。

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 これは500ccの容器ですが、開いている方から首を突っ込んで齧られるようなら、一リットルの容器を長めに切って使います。

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 網と違い、風の抜けが良くないので、何日もこのままにしておくと、腐ったみたいになってしまうので、注意する必要がありますが、でもこの蒸し暑い時期のイチジクは多少熟れ過ぎても味は悪くありません。

 夏の終わりから初秋の収穫期にはたくさん生りますが、実はやや熟れすぎのかんじで、味が劣化しやすいです。

 梅雨時 → 少ししか生らないが大きい。 瑞々しい香りが強い。

 夏の終わり、初秋 → たくさん生るが大きくない。 香りより熟度が強い。

 地域や品種による違いがあるのかもしれませんが、うちの庭のはこんなかんじです。

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 一本だけ枝ごと切って、花瓶にさしてみました。このまま実が熟れてくれば、鳥との戦いも楽になります。紙パックを付けるのもめんどくさいのです。特に枝の高いところは付ける気になりません。

 それにイチジクの葉は腕を擦ると、痛痒くなるので、半そでのまま作業をしてしまうわたしとしては、しなくても済むのであれば、楽をしたいのです。長袖を着ればすむことですが、暑いから嫌です。それに着替えるのもめんどくさい。

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 三日後、朝になったらイチジクが枝から落ちてました。もう食べていいよという事ですね。味は糖度が低い感じでしたが、まあ普通に食べられました。でもやっぱり微妙でした。日光に当てないことが問題だったかもしれません。

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 いま気づきましたが、パックの側面に小さな穴をポツポツ開ければ、空気の抜けが多少は良くなるかもしれませんね。

⑪ タラの芽の生長と天ぷら

 わたしの家にはタラの木があります。暖かくなってくると、このように新芽が出てきます。

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 桜が開花して、冬が完全に終わったような、少しむっとする日があると、それが合図であるかのように、ツノみたいなカラを破って、ぐんぐん芽が伸びます。

 油断してると、どんどん大きくなってしまうので、この時期は収穫のタイミングに注意します。

 スーパーで売っているのは右端くらいのものでしょうかね。

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 最初は木は西庭にありました。近所の人が持ってきて植えたのですが、うちではあまり関心が無かったし、トゲもあるので、20年ほど前に切ってしまったのですが、タラの木は竹のように根で増えていくので絶えることなく、裏庭へ移動していきました。

 タラの芽は病気に効くとかで、隣家の人が貰いに来るようになって、それでまあうちでも天ぷらにするようになりました。

f:id:phorton:20160502212159j:plain 4月9日

 この枯れ枝みたいなところに新芽がモコモコ出ます。でも普通の樹木のように沢山は出ません。そのかわり葉が大きく広がります。新芽が成長していくと、下のようになります。木とはいっても野草っぽいかんじです。

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 現在は、裏庭から生えているものが大きくなっています。

 実はプレハブ小屋の屋根に幹が乗って支えられている状態です。管理がまずかったため、ひょろひょろなのです。蛇みたいですf:id:phorton:20160503212729j:plain

 何がなんだかよく分からないと思いますが、屋根の右側を覆っているのがタラの葉で、左側がビワの葉です。ビワの木は元々裏庭にありましたが、前にプレハブの小屋を建ててしまったのです。でも屋根に上って収穫できるのは便利です。

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 こんなかんじで収穫します。伸びすぎではないかと思われるかもしれませんが、こんなもんでも大丈夫です。

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 収穫してもすぐに調理しなければ、新聞紙に包んでから、ビニール袋に入れて冷蔵庫に保存できます。

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 タラの芽は野菜炒めにしても、うまくいきません。パサパサしてしまいます。でも小麦粉を薄く付ければ、なんとかなります。手始めにやってみました。わたしとしてはこんなもんで充分なんですがね。

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 九州出身の方に聞いた話ですが、火で炙っても食べられるということです。高齢の方のご意見なので、現在ではどうか分かりませんが、九州ではそうなんでしょうか。わたしがやってみたらうまくいきませんでしたけど。

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 こんなかんじで、いっぱいできました。

 茎の部分はイカ下足の柔らかいみたいな食感があります。まあ動物っぽい植物でしょうか。

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 栽培されているものはトゲが無いものが普通みたいですが、うちのにはトゲがあります。美しいですね。痛いけど。綺麗なものにはなんとやら。

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⑩ カフカの「審判」 あらすじを書かずに作品を語る

 この本は読んでおいたほうがいい、そんな作品あるのかなという話です。

 面白いとか感動したとかいう本は沢山あると思いますが、笑ったり泣いたりしたければ他にも方法があるので、無理に本を読む必要はありません。読書によって深遠な精神世界にふれることはできますが、そんなものが無くても生きていけます。現実ではパソコンやインターネットに関する知識のほうが切実なのではないかと思います。

 わたし自身、この本は読んでおいた方がいい、といえるものはほとんど無いのですが、一冊だけすぐに頭に浮ぶものがあります。それはカフカの「審判」です。

 この小説は映画化され、アルビノーニアダージョが音楽に使用されたことでも有名です。というかこの映画でアルビノーニアダージョが知れわたったのでしょうか。

 ここではストーリーの詳細に立ち入ることは控えますが、世界が突然、自分にとって不都合な事ばかり起こるようになってしまった、そんなかんじの内容です。

 作品名だけ見ると、司法ドラマのようですが、そういう見方や作中の舞台背景にこだわる必要はありません。もっと根源的な人間の在り方が描かれたものです。

 単純に、人間の世界は本当はどういうものなのかという視点で読んでみると、難解といわれているカフカも案外身近に感じられると思います。理屈が洪水のように出てきますが、それらにあまり厳密な意味はなく、比喩のようなものだと思えばいいでしょう。

 ストーリーといってもほとんどジタバタしてるようなもので、話が劇的に盛り上がるわけでもなく、悪い冗談に感じるかもしれません。同じような調子で続いていくのに嫌気がさして、途中で本を放り出してしまいたくなる衝動に駆られても、とにかく最後まで読んでみることです。

 主人公にとって意味不明な状況が延々と続くのですが、終盤になって突然、シニカルに現実的な雰囲気の場面が出てきます。そこにすべてが集約されているといっていいでしょう。いかにも難解そうな部分ですが、素直に考えれば、とても単純な真理のようなものがあるように思います。ここは一休さんのとんち話のハード版になぞらえてみれば、とんちで解決できるとは思えませが、裏一休さん(とでもいうべきもの)だったらどうしたか興味のあるところです。

 この場面の短い寓話のようなものだけがカフカ短編集の最初のページに収録されてますが(映画ではナレーションとして冒頭に出てくる)、そちらを先に読まないで、先入観なしに、審判から読んだほうがいいです。審判を読み終えるまでは絶対に、短編集を手にとってはいけません。手にとると、恐いもの見たさでページを開いてしまいます。そして数十秒で後悔することになるでしょう。

 この小説は、なんだかよく分からない事が、よく分からない状況で進んでいきますが、人生はそもそもそういうものです。普段は日常の常識を信じていられるから、わけが分かっているような気がするだけです。しかしそれまでの常識がまったく通用しなくなる状況に陥って、どうしていいか分からなくなるときがあります。そのとき自分が世界の異邦人になってしまう。そういう作品です。そのようなことに遭遇せずにいられる人は運がいいといえます。

  この作品のことを考えると、いつも思うことがあります。あえてひとつの言葉で表すと、「認証」です。

 人は神様の楽園に住んでいるわけではありません。ともかくも安定した日常生活を送っていられるのは、そのような仕組みを人が現世に創ったからです。言葉で他人と意志を疎通させたり、公序良俗を共有したりできるのは、そのようなものを人が作ったからです。太陽が突然地上に落ちてくる事はないというのは作った安全神話です。男は強くて女は優しいというのは作り話です。その他いくらでも例があげられますが、みんな人工的な作りものです。それらが社会化されているので、自然現象みたいに思えてしまって、疑えないのが人間です。

 でも人による作りものなので不完全です。突然それまで当たり前だと思っていたことが、あやふやで訳が分からなくなることがあります。失恋しただけで世界が真っ暗闇になって、それを「なんだこれ、有り得ねえ!」などと嘆き憤慨したところで埒が明きません。

 そういう場合どうにかしようと思ってもどうにかできるものではありませんが、心のどこかに、認証のようなものを感じれば、それが糸口になるような気がします。

 審判は、どうすればいいのかという答えは出ません。しかしこの作品からわたしたちが生きぬく上での法則のようなものを探すことはできると思います。

  行き詰ったときに、何か見落としていることはないか、気づいていないことはないか、現時点とはまったく違った発想が必要なのではないか、そんなことを考える契機になればいいと思います。

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⑨ 交代してくれ

 昨日自転車のパンクを修理して、夜になってから外出したのだが、帰り道に空気が抜けてしまった。それで今日再び修理した。今度は大丈夫だろうと思ってみたが、なかば懐疑的だった。

 そして夜外出した帰り道に、またもや空気が抜けてしまった。

 昨夜は家に戻るまでかろうじてタイヤは持ちこたえた。しかし今夜は家から二キロ以上離れた場所で完全にタイヤの空気が抜けて、ペチャンコになってしまった。携帯型空気入れを使ってみたが、空気入れが壊れてるのか、タイヤのチューブが完全にだめなのか、空気がうまく入らない。

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 しかたがないので、その場から手で押していくことにした。このくそ寒いなか押していくのもシャクだが、まあよくあることだ。

 今夜は満月のようだ。狼男はこんなとき本性を現すのだろう。

 わたしは、「交代してくれ」と真冬の夜空のなかで声を出していた。

 いろんなことがめんどくさくなったのだ。

 昔わたしは自分に暗示をかけたことがある。あのとき本当のわたしは眠ってしまって、それからずっと仮のわたしが、わたしのフリをしてるように思える。地味になんでもできるのだが、本当の目的にはなかなか達しない。

 とにかく本当のわたしに代わってもらいたい。二日続けてのトラブルに、地道なやり方が馬鹿らしくなった。まだ雪の残る夜だというのに。

 そもそも車で出かければすむことだった。パンク疑惑は分かっていたのだから。それでも自転車で出かけないといけないような気がするのは、精神硬直化とでもいうべき症状だろうか。こんなわたしは交代するときなのだ。

 しかしここでまた病気が出てくる。交代してくれと言ったわたしはどっちのわたしなのだろうと気になってしかたがない。

 交代してくれと言うのだから、仮のわたしなのだろう。しかし強い主体性があるように思えるので、本当のわたしが仮のわたしに交代しろと言ってるようにも思える。さてどうしたものか。

 ふだんはここで行き詰るところだが、今夜のわたしは自転車を押すのにかまけているので、余計な事は考えない。

 どちらが仮でどちらが本当かは重要ではない。交代してくれと言ったとき感じたところを注意してみれば、たとえ何も見えなくても何かがある事が分かるから。

     一月二十四日

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 以下、後日談。

 結局チューブを取り替えた。夜になってから、新品の空気入れを買いに24時間営業の店へ行ったら、駐輪場に辿り着いたときは、またしても空気が抜けかけていた。これはもう呪われていると絶望しかけたが、ようやく冷静になって思い出した。こういうときは大抵タイヤに問題があったじゃないか。

 果たしてタイヤを調べると一センチ程度の穴が開いていた。これではいくらチューブを修理しても、すぐに傷つくはずだ。

 さてどうしたものか。鞄の中には薄いビニールが入っていた。チューブの傷はさほど大きなものではないだろう。

 買ったばかりの空気入れでタイヤを膨らませて、タイヤの穴からビニールを千切って詰め込んだ。チューブの傷にうまく密着してくれれば、しばらくは走れるんじゃないか。サランラップがこういう場合には最適だろうなと思う。

 いくらか効果があったようで、空気が抜けるのが遅かった。

 次の日タイヤの穴を内側から塞いだ。今度は本当に大丈夫だった。タイヤの交換は次の機会にしよう。パンク修理のために費やした時間と労力を、タイヤの交換というアッサリした結末によって、虚しくしたくないから。

  ※ 二度ある事は三度あるなら、何か必然的な原因があるものです。

⑧ 異空間

 今年の始めに、演劇を見た。某劇団の役者志望者によるもので、それに知人の子が出演した。こういった駆け出しの、どころかまだ正式なスタートラインについていない新人の公演は、広い会場でやるわけはなく、あまり綺麗とはいえぬ怪しげな建物の一室でおこなわれるものだと理解していた。

 実際そのとおりだった。三十年以上前に見た光景とちっとも変わってないように思えたので、むしろ吃驚した自分が意外だった。現在はもっと華やかになってるのではないかと勘違いしていたらしい。

 椅子はさすがに、1960年代の小学校の廃品を並べたようなものとは違っていたが、小会場だから当然小さな椅子である。人ごみが苦手な人はダメかもしれないが、演劇好きな人にしてみれば、客同士の接近した空気がむしろ異空間を演出する効果を高めるのかもしれない。

 ほんの二、三メートル前で繰り広げられる役者同士の生のやりとりは、有名役者のものでなくても迫力があるものである。滅多に見ることがないからという理由もあるだろうが、退屈なテレビドラマや映画などより新鮮である。

 会場というより、部屋を改造したような舞台では、照明の効果が充分に発揮できないのかどうか、明るさがあまり滑らかではないように思う。明るくすればするほど狭い舞台が明らかになってしまうからかどうか分からないが、やや薄暗いなかでの演技になる。

 客席も一塊にされたようなかんじで、ゆったりしたものではなく、どこの誰が何をしてるかが分かってしまうので、なんとなく猥雑な感じがする、閉じられた世界である。

 しかしわたしはこういう雰囲気が好きらしい。半分はこの感触を味わいに来てるようなものだ。役者にとっては失礼だが、演技はこの空間を動かす仕掛けのようなものだと言ったら怒るだろうか。

 しかし人間は日々の生活のほうが窒息しそうなものなのだ。それが真実の世界だと認めたくないゆえに、こうした異空間を確認したいときがあるのだ。いつの日にか、こちらの世界が現実へはみ出していくことがあるのだろうか。

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⑦ ビワのドライフルーツを作ってみた

 先月の話ですが、ビワのドライフルーツを作ってみました。

 わが家にはビワの木があります。今年は不作でした。

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 それでもまあこんなかんじになります。間引くことはしませんが、だいたい一般に出回ってる大きさになります。

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 六月下旬まで木に残ってカンカン照りにさらされた実は、赤い斑点が出て、それは缶詰のような甘さになりますが、そうなる前にほとんどの実は落ちてしまうか、鳥につつかれてしまいます。木から落ちずにそのまま腐ってしまう実も多いです。

 現在ある木は25年ほど前に植えたものですが、子供の頃は庭に房州ビワの木がありまして、それは実がもっと大きかったと思います。物心ついた頃、わたしにはビワは身近な食べ物でしたが、ビワはほんとうは庭に植えるものではないという謂れがあるような事を母が言ってまして、どうなんでしょうかね。

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     1960年(昭和35年)頃の庭の房州ビワの木。現在はない。

 

 ビワは足が速くて、すぐに悪くなるので、ビワ酒を作ったりしてたのですが、ビンが増えると重くて床が抜けると母が言うので、ドライフルーツにしてみました。

 ビワを熱処理することは以前にもやったことがありますが、完全なドライフルーツを作ることにしました。何が完全なのか分かりませんが。

 

 実を縦に二つに切って種を取り、皮を剥き、皿にいれます。あまり重ねないほうがいいです。

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 わが家にはオーブンレンジがないので、電子レンジを使います。

 二皿ずつ電子レンジで2分ほど加熱します。すこし汁が出ます。そのまましばらく余熱で放っておきます。熱がさめたら再び過熱します。これを繰り返します。

 レンジで実を乾燥させるというより、皿を熱くして余熱で実を乾燥させます。

 ワット数の違いもあるので、加熱時間は2分にこだわる必要はありません。要は皿が熱くなればいいのです。ちょっと長く加熱すると汁がどぼどぼ出てくるので、なるべく汁が出ない程度に抑えます。少しの汁なら皿が冷める間に、実に再び吸収されます。

  加熱時間は実の様子を見ながら減らしていきます。2分 1分半 1分というかんじです。水分が抜けてくると、焦げやすくなるので、この時間短縮は重要です。秒単位でしたほうがいいです。

 蓋は最初はしなくてもいいですが、水分が抜けてきたら加熱するときは蓋をして、過熱の後すこし間をおいて蓋をとります。こうしたほうがカサカサにならず焦げにくいと思います。

f:id:phorton:20150726015347j:plain 調理前

 夜には一応ドライフルーツみたいになりました。あまり綺麗に見えませんが、写りが悪いと思ってください。この時点でもう完成にしても十分です。

f:id:phorton:20150726015433j:plain 調理後

 

 翌日お日様に干してみました。ザルだとベトベトしそうなので、皿のまま干しました。塀の上に並べました。落ちるともったいないので真似しないでくださいね。

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 ひっくり返すとこんなかんじ。これは実の外側です。このまま無事乾燥が終わればいいのですが。しかし蟻がやってきました。

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 そこで車の屋根にのせました。すると蟻がきませんでした。車の外装が熱いからでしょうか。あるいは上りにくいのでしょうか。車の塗装が気になる人は真似しないでくださいね。

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 片側を日にあてたら、割り箸で一枚一枚ひっくり返して反対側も日にあてます。

 そういえば忘れてましたが、鳥は来なかったみたいです。加熱したからでしょうか。

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 取り込んで冷めてから、再度レンジに軽くかけました。最後の殺菌のつもりです。ちょっとやりすぎるとホントに焦げるので、やらない方がいいかもしれません。

 平たいタッパに入れます。ビワの表面の粘着力が残るので、ビンに入れると実が全部くっ付いてしまって一つ一つを取り出すのが面倒です。薄くて大きいタッパがいいです。

 味比べのため、一皿ずつ別々の容器に入れて、冷蔵庫で保存しました。、

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 このくらいが無難な出来でしょうか。棒は割り箸ですよ。

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 これはかなり乾燥してます。お菓子っぽいです。

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 全体的に少しやりすぎたようです。ちょっと硬くなったものもありますが、口の中に入れていると溶けてくるので、ふつうに食べられます。

 レンジを使わずに日干しだけでも少し作ってみました。こちらは味が強いです。汁が漏れないからでしょうか。でも何日干しても簡単に乾かないので、痛むのが気になります。それにビワの収穫期は雨が多いし、大丈夫でしょうか。結局全部食べてみましたが、お腹が痛くなったりはしませんでした。個人差があるでしょうけど。

 レンジではどうしても汁が出てしまいますが、味はむしろまろやかです。干しぶどうみたいです。焦げかけたものもそんなに気になりません。いくらかコーヒーのような苦さがある程度です。 

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 だいたいこのくらい実はしぼむということですね。