⑯ 平成の始まったとき

 三十年前、昭和から平成になったとき、国民は元号にさして関心を持っていなかったと思う。故小渕総理が平成の書を掲げるシーンが有名なので(当時は官房長官)、勘違いしやすいが、あれは小渕氏の雰囲気が特徴的だったのであって、元号が国民にウケたとか、そういうことではない。えらい人たちで決めたことだから、それに異を唱える必要がなかっただけである。字面のわかりやすさもあり、特に疑問もあがらず、特に熱狂もなく、あたりまえのように平成の元号は国民に認知された。

 この度の元号改変では、まるで合言葉のように、あちこちで『令和』が連呼される報道を見るにつけ、世の中は本当に変わったと思ってしまう。

 天皇の退位による元号改変であり、葬儀とか喪に服するとかの厳粛な印象が無いので、このような明るい代がわりになったのは当然かもしれない。

 三十年前は、昭和天皇崩御による代がわりだったので、新しい世の到来を祝う雰囲気ではなかったし、平成!平成!と連呼するような現象もなかったと思う。

 それどころか昭和の負の遺産が噴出した。国の内外から、先の戦争責任に関する声があがり、有名政治家がそれに言及したことから、非常に刺々しい雰囲気になってしまった。

 イギリスとのテレビ中継を見ていたら、現地のメディア関係者から、『元号制度に何の意味があるのか』という意見が出た。西暦とは別個の時系列に対し、あからさまに辛辣な態度だった。英国人のドギツサが日本に放たれた瞬間だった

 このときのテレビ中継で国内で対応したのがNHKの平野次郎氏で、イギリスで取材していたのが磯村尚徳氏だった。磯村氏はこのような英国の反応について、戦時中の記憶はこちらでは簡単に割り切れないものがあるような事を言い、イギリス側にある程度理解を示した。それに対し平野氏はやや温度差があったように思う。

 平成の始まり(新たな時代の始まり)というよりも、『昭和の終わり』の印象が強かった。昭和という時代は、戦争、敗戦を含んでいたので、総括のようなことをして、一応の区切りを付ける必要があったのだと思う。

 当時はまだ旧日本軍の大佐とかが生きていて、ラジオ放送で、日独伊三国の枢軸でどうのこうのといった歴史で習うような事を、ふつうに話していた。戦時中の話ができる絶好の機会といったかんじだった。

 それに当時はバブル期である。一般大衆にとっては、自分が時勢に乗り遅れていないかどうかに関心があったのであり、元号についてこの度のように騒がれることはなかった。どんな元号になるかは大衆にはどうでもよかった。というか日本の伝統だとか、和の心だとか、なんとかいうことが、重要視されていなかった。そういったことはバブル崩壊後の喪失感から生じたものである。土地の値段が上がっちゃって家が買えないとかの方が大衆には重大だったのだ。

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